『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』
Amazonのランキングは日々確認しているのだけど、そんな中でビジネス書カテゴリーにはある特徴的なことが起きている。
時代を反映させてのことなのか、AI関連の本が非常に多くなっている。
今回、ご紹介する『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』もまさにAI関連の本だ。
現在、Amazonビジネス書カテゴリーで1位(2018年3月11日現在)で非常に人気の本。
正直、タイトルに「教科書」「子どもたち」などという言葉があるので、本格的なAIの本だとは思えず、読む気がしなかった。それでも、ここまで人気があるのだ。ざっと読んでみよう、と思って、手にとってみた。
少し僕が考えているAIについて言うと…
多くの本がそうなのだけど、AI vs. 人間という図式のものが多い。AIが人間から仕事を奪うのか、人間はAIに負けてしまうか、など。
確かにそういう図式もあるのだけど。僕が考えていることは少し違う。
いわゆるシンギュラリティの、人間の知能を超える世界はともかく。
確かに人間の知能をも超えるレベルに向かっているのは事実だろう。それはAI云々の話ではなく、人類の進歩の話。ここは避けられないだろう。
僕が関わっている企業の中にも、直接的にではないけど、間接的にこうしたビジネスに関わっている企業があって、間違いなく、日々進歩している。
とすると、僕らが競合だと考えている企業などもそうした力を手に入れていく。
大手やベンチャーの中の一部は間違いなく、こうした驚異的な力を手に入れる企業が出てくる。
それらをもつ企業と、もたざる企業。
もたざる企業はどのように戦えばいいのか。今後、どうしていけばいいのか、それを知るためにAIについて考えている。特に「弱点」はどこにあるのか、だ。
今回の本『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』はまさにそうした弱点を知る意味で、一つのヒントが得られる本だと思う。
この本の内容にはこうある。
「東ロボくんは東大には入れなかった。AIの限界ーー。しかし、”彼”はMARCHクラスには楽勝で合格していた!これが意味することとはなにか?
AIは何を得意とし、何を苦手とするのか? AI楽観論者は、人間とAIが補完し合い共存するシナリオを描く。しかし、東ロボくんの実験と同時に行なわれた全国2万5000人を対象にした読解力調査では恐るべき実態が判明する」
東ロボくんというのは、ある人口知能のこと。
既にMARCHクラスには楽勝で合格できるレベルにある。ただ、そこには得意な面と苦手な面があるという。まさに「弱点」を知るきっかけになる1冊だといえる。
ただ、この本では、これからの危機はむしろ人間側の教育にあると述べている。このまま行くと、最悪の恐慌になるとさえ語る。その最悪のシナリオを避けるにはどうしたらいいのか、それについて、述べられているのが本書だ。
印象に残ったポイント
宣伝され形作られているAIのイメージ、未来予想図は実態と違う
「『東ロボくん』と名付けた人工知能を我が子のように育て、東大合格を目指すチャレンジを試みてきた数学者として、多くの人が人工知能に興味を持つことはとても嬉しいことです。
その一方で、たくさんのAI関連書籍が出版され、その多くは短絡的であったり扇動的であったりしていて、その触りが喧伝されることで形作られていくAIのイメージや未来予想図が、その実態とかけ離れていることを、私は憂慮しています」
コンピューターは計算機。人間の仕事をすべて引き受けたり、意思をもつことはできない。
著者は「人工知能が意思をもつのは妄想」と語る。
僕個人としては、未来については妄想とは断言できないだろうが、それでも、ここ当面はコンピューターは計算機、という考え方は妥当だろう。
「コンピューターは計算機」。それを前提として考え、数字で表現できる仕事については人間の仕事の多くを奪っていくのだろう。
「AIは神に代わって人類にユートピアをもたらすことはないし、その一部が人智を超えて人類を滅ぼしたりすることもありません、当面は。
当面というのは、少なくともこの本を手に取ってくださったみなさんや、みなさんのお子さんの世代の方々の目の黒いうちにはというころですが、AIやAIを搭載したロボットが人間の仕事をすべて肩代わりするという未来はやって来ません。
それは、数学者なら誰にでもわかるはずのことです。AIはコンピューターであり、コンピューターは計算機であり、計算機は計算しかできない。それを知っていれば、ロボットが人間の仕事をすべて引き受けてくれたり、人工知能が意思を持ち、自己生存のために人類を攻撃したりするといった考えが、妄想に過ぎないことは明らかです」
「AIがコンピューター上で実現されるソフトウェアである限り、人間の知的活動のすべてが数式で表現できなければ、AIが人間に取って代わることはありません」
「今の数学にはその能力はないのです。コンピューターの速さや、アルゴリズムの改善の問題ではなく、大本の数学の限界なのです。だから、AIは神にも征服者にもなりません。シンギュラリティも来ません」
「じゃ、AIに仕事を取られて失業するっていうのは嘘か。安心したーー。(中略)残念なことに、私の未来予想図はそうではありません。
シンギュラリティは来ないし、AIが人間の仕事をすべて奪ってしまうような未来は来ませんが、人間の仕事の多くがAIに代替される社会はすぐそこに迫っています。つまり、AIは神や征服者にはならないけれど、人間の協力なライバルになる実力は、十分に培ってきているのです。『東ロボくん』は、東大には合格できませんが、MARCHレベルの有名私大には合格できる偏差値に達しています」
人間が感覚的にわかることや自然言語処理は難しい
「コンピューターは計算機」という前提から考えれば当然だけど、数字で表現できないもの。たとえば、感覚的に(自然に)わかることや自然言語処理は難しい。特に国語と英語では、問題の「意味」をとらえることがコンピューターにとっては難しいと著者は述べている。
「『平面上に四角形がある。各頂点からの距離の和が一番小さくなる点を求めよ』
実際に図を描いてみるとわかりますが、人間だったら、『答は、対角線の交点だな』となんとなくわかります。証明もそれほど難しくありません。対角線の交点以外の点をとると、各頂点からの距離の和は、必ず、2本の対角線の和より長くなります。
なぜ人間がこの問題を簡単に解けるのか、よくわかりません。たまたま答が対角線の交点だからかもしれません。交点というのは、人間にとって「自然」な存在です。(中略)四角形の問題をコンピューターに解かせてみようとしたところ、いつまでたっても応答がありません。知人にお願いしてスパコンを使ってみたのですが同じ結果です。そこで理論計算をしてみました。すると、宇宙が始まってから現在までよりも長い時間を要することがわかりました」
我々には読解力や常識が欠けている
コンピューターにとって、感覚的(自然)に理解できるようなことは難しいし、言語処理(意味を捉える読解力など)は難しい。一方、我々はそこが得意かというと、実はそこが欠けてきている。
ここは確かにそうだろうと思う。
僕は企業のマーケティングの支援をしているので、特に意識しているのだけど。多くの人は情報が氾濫する中で生活していて、注意力(集中力)が落ちている。そのため「ほとんど頭を使わず、いかにわかりやすく理解できるような情報発信」が情報を発信する側は非常に重要だと考えている。
ただ、発信側が「頭を使わずに理解できる」ことを追求すればするほど、僕らの言語処理能力は劣ってくる。それは間違いないだろう。
「現代社会に生きる私たちの多くは、AIには肩代わりできない種類の仕事を不足なくうまくやっていけるだけの読解力や常識、あるいは柔軟性や発想力を十分に備えているでしょうか」
2011年実施の「大学生数学基本調査」。
その結果では、学生の基本的読解力がとにかく低く。著者は基礎的な読解力を調査する、リーディングスキルテスト(RST)を自力で開発したらしい。
このRSTには2つの文章を読み比べて意味が同じかどうかを判断する、「同義文判定」という問題がある(まさにこうした問題はAIも苦手としている)。次のような問題だ。
「幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」
「1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた」
答えは同じではなく、「異なる」。実はこのテストを受けた調査対象の中学生の約半数がこの問いに「同じである」と回答した。
「中高生の読解力については、現場の教員のみなさんが、最も敏感にそれを察し、危機感を抱いておられます。高等学校の先生からは、『板書ができない』という悩みを打ち明けられました。板書をしても、書き写せない生徒が増えているからだそうです」
次のような問題も私大B、Cクラスでは正答率が5割を切ったらしい(逆にいえば、こうした少し複雑な文章は現在のビジネスでは顧客に対して、使ってはいけないということ。当然だけど)。
問題:次の報告から確実に正しいと言えることには〇を、そうでないものには×を、左側の空欄に記入してください。
公園に子どもたちが集まっています。男の子も女の子もいます。よく観察すると、帽子をかぶっていない子どもは、みんな女の子です。そして、スニーカーを履いている男の子は一人もいません。
(1)男の子はみんな帽子をかぶっている。
(2)帽子をかぶっている女の子はいない。
(3)帽子をかぶっていて、しかもスニーカーを履いている子どもは、一人もいない。正しいのは(1)のみです。
問題文中の「帽子をかぶっていない子どもは、みんな女の子です」という文から、「男の子は帽子をかぶっている」ことがわかります。
ですから(1)は正しいです。しかも「女の子は誰も帽子をかぶっていない」とは言っていません。つまり、確実に正しいとは言えないのです。だから(2)は×です。さらに、「スニーカーを履いている男の子は一人もいません」という文と合わせても、「帽子をかぶっていて、しかもスニーカーを履いている女の子がいる」可能性を否定できませんから、(3)の答も×です。
この問題の正答率は64.5%でした。
入試で問われるスキルは何一つ問うていないのに、国立Sクラスでは85%が正答した一方、私大B、Cクラスでは正答率が5割を切りました。では、多くの高校生が憧れる私大Sクラスではどうだったか。国立Sクラスに比べて20ポイントも低い66.8%に留まりました。
書籍内容
東ロボくんは東大には入れなかった。AIの限界ーー。しかし、”彼”はMARCHクラスには楽勝で合格していた!これが意味することとはなにか?
AIは何を得意とし、何を苦手とするのか?
AI楽観論者は、人間とAIが補完し合い共存するシナリオを描く。
しかし、東ロボくんの実験と同時に行なわれた全国2万5000人を対象にした読解力調査では恐るべき実態が判明する。
AIの限界が示される一方で、これからの危機はむしろ人間側の教育にあることが示され、その行く着く先は最悪の恐慌だという。では、最悪のシナリオを避けるのはどうしたらいいのか? 最終章では教育に関する専門家でもある新井先生の提言が語られる。
著者情報
新井 紀子(アライ ノリコ)
国立情報学研究所教授、同社会共有知研究センター長。
一般社団法人「教育のための科学研究所」代表理事・所長。
東京都出身。一橋大学法学部およびイリノイ大学卒業、イリノイ大学大学院数学科課程修了。博士(理学)。専門は数理論理学。2011年より人工知能プロジェクト「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトディレクタを務める。2016年より読解力を診断する「リーディングスキルテスト」の研究開発を主導。主著に『ハッピーになれる算数』『生き抜くための数学入門』(イースト・プレス)、『数学は言葉』(東京図書)、『コンピュータが仕事を奪う』(日本経済新聞出版社)などがある。