話題の本『応仁の乱』
話題になっている『応仁の乱 – 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書)』を読んでみました。
この本は昨年10月に出版されたものだけど、ジワジワと売れて、今や30万部を突破する超ベストセラー。
もともと気になってはいたのだけど、帯にある『日本社会を変えた歴史の転換点』というコピーに誘われて、どこか今の日本の時代を知る意味でも参考になるかも、と読み始めてしまった。
正直、この本は「難しい」というレビューが多い。
確かに難しい。
登場人物が教科書に出てくるような有名な人ではなく、マイナーな人が多いし、複雑。ベストセラーの本だけど、読むのには覚悟が必要だと思う。
それでも、この本はオススメ。人生や仕事にも役立つ、とても大切なことを教えてくれる。
ただ、その前に「応仁の乱」とは何なのか、について説明していこう。
応仁の乱の結果
応仁の乱は複雑なので、まず、応仁の乱の内容の前に、その時期や結果から話していく。
時期は戦国時代の前の室町時代。
1467年(応仁元年)に発生し、約11年間にわたって起きた内乱。
原因はともかく、11年も続いたにもかかわらず、結果は悲惨だった。
ただ、京都を焼け野原にしただけで、一人の勝者も生まず、大名たちの没落と、後の戦国大名の台頭を招いた。
つまり、この戦いで得した者はいなくて、結局、これにより室町幕府は一層弱体化していく。
不毛の争いだったわけです。
応仁の乱の発端
発端は室町幕府8代将軍足利義政の後継争い。
(足利義政というのはこの人)
将軍義政は、正室(妻)の日野富子や側室に子どもができないことから、弟(義視<よしみ>)を仏門から還俗(俗世間に還ること)させて自分の後継者にした。
つまり、弟を後継者にしようとしたわけ。
ところが、ここからがドラマだけど。
その後、妻の日野富子に子ども生まれたことから、日野富子と弟の義視との間で後継者争いが勃発したわけです。
ここに双方を後押しする、当時権力を有していた管領の細川勝元と大大名の山名宗全の対立。
さらに名門畠山氏の内紛も加わり、グチャグチャに入り乱れ、混乱した内紛になったわけです。
応仁の乱の原因
この内乱の原因は様々ありますが、やはり、大きな原因は将軍義政の優柔不断。決断を明確にしないことにある。
さらに、家来の裏切りや内紛は当たり前。しかも、内乱の主力戦力は、足軽(雇われ兵)だったのだけど、彼らも得する方に寝返ったりと優柔不断なわけです。
敵、味方が常に入れ替わり、もはや誰と誰が何を目指して戦っているのか、全くわからない状態になっていった。それが大きな問題だったわけです。
実際、著者の呉座勇一氏はこう語っている。
「応仁の乱の当事者もプランがずさん。ゴールに向かって脚本が描けていない。ダメならどうするか考えず、読み違えた後の軌道修正もなし。長期的な視野もない。人のふり見てわがふり直せの反面教師が、この本です」
参考:「応仁の乱」30万部ベストセラー!なぜウケるのか
これが学びだったわけです
足利義政の優柔不断
多くの利害関係の中、足軽でさえ、利益によって寝返ったりです。
やや乱暴にいえば、優柔不断で、目標は多数あり、混乱状態。こうなると一国の幕府でさえ、滅ぼしてしまう。
「自分に置き換えるとどうなるのか」
そう考えると、とても大きな学びになる。
やりたいことがコロコロ変わる。優柔不断で「これをやる」と決断しない。ある時は「コレがやりたい」と言い、ある時は「アレがやりたい」と言う。これではうまくいかない。
もっといえば、ある時は「これが成功しそう」「これをやりたい」、またある時は「あれが成功しそう」「あれがやりたい」と言う。そうなってしまうと、何一つ、うまく行かずに終わってしまう。
応仁の乱が11年続いたにもかかわらず、京都を焼け野原にしただけで、一人の勝者も生まなかったように、自分自身も(優柔不断でなく)決断をしないと、一生という時間をかけても、1つの大きな成果が生まれず、終わってしまう。
そんなことを『応仁の乱』を読みながら、考えてしまう。歴史を通じて、自分のことを考えると、とても大きな学びになると思います。
ちなみにマンガも人気です。